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「くまもとあか牛」を育てて60年
『井 信行』

井さんは、「くまもとあか牛」を阿蘇の草原で育てて、60年になります。
「使役牛ですから、農家なら、どこの家にもいたんです」
くまもとあか牛の生産者になった理由をそう話します。
「父が分家だったのですが、分家は家を継ぐわけではないから、水田や山林をたくさん譲り受けたりはしない。つまり、財産がないんですね。
そこで、父は大工になった。
でも、食べるだけで大変で。私は牛飼いになろうと。当時は牛が身近で、牛を飼うのは平等だったんです」

ご存じのように、「くまもとあか牛」は和牛の一種で褐毛和種です。
和牛には、黒毛和種、褐毛和種、日本短角種、無角和種の4種があって、うち褐毛和種は「くまもとあか牛」と「土佐あかうし」の2系統があります。
数的には黒毛が98%と圧倒的多数を占め、褐毛は2系統を合わせても約24500頭という少数派です。
黒毛が圧倒的多数を占める理由としては、サシが入りやすい肉質に負う部分が大きいと言えるでしょう。
「黒毛和種が和牛の98%を占める背景には、1991 年、GATT ウルグアイラウンドで牛肉の輸入数量制限が撤廃された際に、輸入牛肉との差別化のため、“和牛の特質=サシ(脂肪交雑)”に狙いを定めたという背景があります。
この時、霜降りの度合いと肉の歩留まりが高いほど格付けが高くなる価値体系を強化。
それによって、サシの入りやすい黒毛和種偏重が進行したという側面があります」と指摘するのは、“やまけん”こと、農と食のジャーナリスト山本謙治さんです。
やまけんさんの話を聞くと、井さんがいかにマイノリティであるかがわかります。
牛は何を食べるべきなのか?
サシの多いA5が最上級かつ高価格で取り引きされるため、サシを入れる肥育技術も磨かれました。
「本来、牛は草食・反芻動物で、草を食べます。消化器官がそのようにできています。
ただ、草はカロリーが低くて、草=粗飼料だけ食べている牛はサシが入りにくい。商品として考えると、商品価値は低いと言わざるを得ません。
そこで、商品価値を上げるために、サシの入りやすいコーンや穀物=濃厚飼料を食べさせ、サシが入りやすくなる育て方(食べる回数を増やす、ビタミン量を減らすなど)をします。
それが、日本が誇る和牛の飼育技術です」とやまけんさん。
と聞くと、ふと思うのです、それは牛の生理に合っているのだろうか?
しかも、その濃厚飼料の多くが輸入に頼っているという現実があります。
主として米国産や豪州産などのコーンや穀物です。
それらを、出荷までに1頭あたり約5 トンも食べさせるというのです。
そこでまた、疑問がよぎります、その牛を和牛と呼んでいいのだろうか?
種としては和牛だけれど、その体は輸入飼料でつくられている……。
放牧と国産の粗飼料で育てる。
井さんは、「くまもとあか牛」を放牧と国産の粗飼料で育てています。
井さんが住む熊本県阿蘇郡産山村は、阿蘇北外輪山と九重山麓が交わる波状高原と急傾斜部分から構成される高原型純農村です。
村の8割以上を山林と野原が占めています。
「この大草原を活用しない手はないでしょう?」と井さん。
標高700m、20haの敷地で、繁殖、肥育、出荷まで一貫して手掛けてきたのです。
与えるのは阿蘇を中心とした国産飼料です。
牧草・地元牧野組合
飼料米・自家産
米ぬか・自家産
大麦・熊本県菊池産
小麦・熊本県菊池産(一部本州)
大豆・熊本県菊池産
ふすま・熊本県菊池産
オカラ・熊本県阿蘇産
牡蠣殻・熊本県八代産
塩・熊本県天草産
ざっと、こんな感じです。
褐毛を粗飼料で育てるとどんな肉質になるか、と言えば、赤身になります。
間違っても「A5」にはなりません。
撮影用に送られてきた肉のように、たとえば「A2」であり、冒頭の井さんの発言、「今の牛肉の体系からすると、ランクは低いです!」になるのです。
「霜降り人気の前に、長い間、苦しい闘いでした。
でも、最近、赤身肉への関心の高まりを感じます。明るい兆しが見えてきましたね」
繁殖期、および、生まれた仔牛が10カ月くらいまでは親子放牧で育て、その後、牛舎で肥育。
「九州農業試験場や行政とも研究を重ねながら取り組んできました」。
1997年には、村の仲間と牛肉の直販組織「うぶやまさわやかビーフ生産組合」を設立して、自分たちの手で販売も手掛けるようになりました。

「阿蘇外輪山上に広がる豊かな草原で、あか牛(褐毛和種)を放牧型粗飼料によって肥育し、赤身に特化した牛肉を生産している。
井信行さんを代表とする産山村の畜産は、放牧、採草、野焼き、飼肥などの適正な管理により、生物多様性の保全、草原の景観維持や水源涵養にも貢献し、輸入飼料に頼らない今後の和牛飼養のモデルのひとつとなっている」